このあたりの片田舎での娯楽といえば、雑貨屋で何を買うわけでもなく、時折値札を眺めては缶詰の価格高騰を嘆きながら近所の噂話に興じるか、萎びた雰囲気の酒場で、下品なジョークでもとばしながらカードをやるか、せいぜいその二択だろう。
男は火をつけていない煙草を咥えながら、手元のカードを一瞥し、同じテーブルを囲っている三人ににっと笑ってみせた。そして、軽やかな手つきでカードをテーブルの上に広げる。三人は顔を見合わせて、目を丸くした。男は「悪いな」と言って、場に出ていたコインを手元に引き寄せた。咥えたままのタバコを指に挟むと、片手を挙げた。
「マスター、ソーダくれ」
男はカウンターにいたバーテンダーに軽快に言う。バーテンダーは怪訝な顔を浮かべながら、グラスにソーダを注いで、カウンターの上に滑らせる。男は椅子に座ったまま下がると、手を伸ばしてグラスを取った。
「こんな景気のいいときにソーダなんて、あんたもしかして下戸か?」
からかいまじりにテーブルにいた一人が言うと、男は片眉を上げた。
「まさか! 生憎一番高い酒でもいただきたいところだが、この後も移動なんでね」
「店の前にあったあの乗り物、あれあんたのか」
また別の一人が尋ねると、男はにやりとした。
「この街にあんなイカした機械に乗ってるやつが、他にいるっていうのか?」
またまたテーブルの男たちは顔を見合わせた。いないだろ? といたずらっぽい笑みを浮かべ、煙草を耳の上に挟んだ。男は簡素なシャツに厚手のベストを身につけ、首には赤いスカーフとゴーグルを下げていた。この田舎街の労働者にも見えなくはないが、腰と腿で固定したホルスターに大振りの銃を差しているような労働者は、ここにはいない。余裕を見せつけるような表情と溌剌とした雰囲気から、彼が外からやってきた流れものだと、テーブルの男たちは一目でそう判断した。
「もう一ゲームでもするか?」
旅人がテーブルを囲んでいる街の住民たちに視線を投げかける。三人は顔をしかめて、互いにどうするかと世間話をしながら、カードを切っている。
「そろそろカミさんにどやされるな」
「家族がいるだけマシってもんさ。じゃ、俺たちはこれで最後にするか」
住民の男たちはそう言うと、さりげなく旅人を一瞥した。そういうことなら、と旅人は片手を上げてカードを促した。三人のうちの一人が、時折不器用そうにカードを配る。
「あんた、どうやって生活してるんだ? 配達人かなんかか?」
ゲームが始まると、住民の一人が世間話を始める。旅人は視線を上げて、ふふん、と口角を上げた。
「占いさ」
旅人が言うと、三人のうちの一人が鼻で笑った。
「占い?」
「ただの当てずっぽうでもなんでもない。正真正銘の占術さ」
旅人はそう言いながら、カードを捌いていった。
「けど、術師っていうのは、なんでも戦争に呼ばれちまったんだろう? あんた、従軍してたのか?」
住民の言葉に、まさか、と男は肩を竦めた。
「殺し合いなんて御免だね。俺は上手くお役御免になるようにしたのさ。自分の力でな」
住民たちだけではなく、その話を片耳で聞いていたバーテンダーでさえ、男の話など信じていなかった。
術師の中でも、特に「占術」を使う人間はなんでも登用されたことは、この片田舎でも耳にする話題だった。
逆に、何の能力もなくとも、占術の才能さえあれば、国に雇ってもらえるという淡い夢を描いた者とて少なくはない。国に雇われれば、この狭い田舎街での貧乏生活とも別れられる。けれども、そんな才を持つ人間が、そういるものでもない。
「じゃ、未来を視てやるよ。あんたらは俺には勝てない」
旅人は得意げに三人を指差す。住民たちは呆れて互いに顔を見合わせた。そう言っていられるのも今のうちだろう。だが、それは一瞬で覆った。旅人は手札を開いた。
「……嘘だろう?」
テーブルの一人が呟いた。
「言ったろ?」
男はテーブルの中央にあるコインを、再び引き寄せた。
「おい、だとしたらあんたはインチキじゃないか。あんた、俺たちの手の内がわかっていたってことだろ?」
一人がむっとして言った。
「俺が視たのは、俺が勝つっていう未来だけだ。あんたらの手札が何かなんていちいち見なくとも、俺が勝つってことが確定していたって話だ。優秀な占術師っていうのは、そういうもんだ」
旅人は得意げに足を組み、耳の上に挟んでいた煙草を手に取った。ポケットからマッチの箱を取り出してみたものの、振っても手応えはなかった。空箱をテーブルの上に置き、笑みを貼り付けたまま、誤魔化すように小さなため息を吐いた。
すると、彼らのテーブルに、ひょこひょことした歩き方で子供が一人近付いてきた。顔の半分がテーブルから見えるほどの背丈で、髪はぼさぼさに伸びきっている。着ている服は手足の丈が足りておらず、脛や腕は転んだときにでもできたかすり傷があちこちにある。ズボンのポケットがやたらに膨れ上がっていて、土にまみれた手で中身がこぼれ落ちないように押さえていた。伸びきった髪の隙間から、子供はきょろきょろと四人を見回し、誰を見るでもなく、ポケットに手を入れた。
「かーがでー?」
口を開くと、前歯の乳歯がなかった。ポケットから取り出したのは、マッチの箱だった。箱はあちこちが折れ曲がっていて、潰れかけていた。
「なんだ?」
旅人は眉を上げて聞き返した。すると、子供は体ごと向きを変えて、彼をまっすぐと見上げた。
「かーかでー?」
「やめておけ、兄ちゃん。相手にするな。ほら、あっちいけって」
左隣に座っていた男が、しっしっ、と手で払う仕草をした。だが、子供はきょとんとした顔で首を傾げ、掌に載せたマッチの箱を、ぐいと押し上げた。
「懲りないやつだなぁ! ここで商売するんじゃねぇ。おい、マスター! あんたも見てねぇでよぉ!」
バーテンダーはやれやれと言った様子で首を横に振った。そして、カウンターの下にあった猟銃を乱暴に置いてみせた。子供は肩をびくっと震わせると、慌てて店から飛び出した。
「驚いたな。この街じゃガキは熊か何かか?」
旅人が揶揄うように言うと、テーブルにいた男たちは苦い顔をした。
「あれはニム・ダフルから流れて来たんだ。国境近くから、戦争で逃げて来たらしいんだがよ、言葉も通じなければ、どこで拾ったのかわかんねぇものを売り付けようとしてきやがる」
「この間は、石鹸の欠片を持ってたぜ」
「俺たちにとっては、ネズミよりも厄介なもんだ」
住民たちは息を吐いた。一人がテーブルのカードを集める。その動きを、旅人はじっと見つめていたが、ふいに席を立った。
「さっきのでゲームは終わりだったな。歓迎どうも、皆の衆」
旅人は芝居がかった仕草で礼をすると、酒場を出て行った。残された三人は互いに顔を見合わせ、つまらなさそうに旅人に悪態を吐き、鬱憤をどうにかしようと酒を頼んだ。
店の階段を降りてすぐの場所に、旅人の乗ってきた大型の二輪車があり、そのすぐそばに先ほどの子供が立っていた。触れるようなこともせず、数歩下がった場所で、じっと服を握り締めて眺めていた。
「なぁ、マッチくれよ」
旅人は階段を降りながら、手を差し出した。子供は彼の声に気付くと、はっとして顔を上げたものの、首を傾げた。旅人は膨れたポケットを指差すと、子供はぱっと顔を輝かせ、彼の前に駆け寄ると、手の上にマッチ箱を置いた。
「ありがとよ。ほら」
男はコインを、相手の空いた掌に乗せた。銀色の硬貨を手の上に、子供はじっとそれを見ていた。男は適当に階段に座ると、耳に挟んでいた煙草を取って咥え、マッチ箱から一本取り出して擦った。何度か擦っては上手く点かないものは適当に放り、ようやく点いた炎を煙草に当てた。男は煙を空に吐き出した。子供はまだ銀貨を見つめている。
「なんか、今日のはうめぇな」
独り言のように男は呟いた。子どもは男と目が合うと、前歯の欠けた口を見せた。男はまだ長さの残っている煙草を地面に押し付けると、膝の上に肘をついた。その口から出たのは、先ほどから使っていたものとは、また別の言葉だった。
「お前、ニム・ダフルから来たんだって? それも、かなり辺鄙なところだろう」
子供は体を硬らせると、ぼろぼろのシャツの裾をぎゅっと握りしめた。男は力ない笑みを浮かべた。
「別に何かするつもりはねぇよ。ただ、気になっただけ」
子供は口をもごもごさせていたものの、上目づかいに男を見つめてから口を開いた。
「わかるの?」
それは、はっきりとした口調だった。まぁな、と男は答えた。
「どこからきたの?」
「遠いところさ。そこに、お前さんたちの言葉を知っているやつがいて、ちょっと教えてもらった」
「その人は、どこにいるの?」
その言葉は、どこか切羽詰まっていた。男は眉を下げそうになったものの、何気ない様子を装った。
「さぁな。ちょっと会って、それきりだから」
子供はあからさまにしゅんとした態度になった。
ニム・ダフル自体は巨大な国だ。だが、その中に少数の人々のみが語る言葉がある。旅人たちが交わしているのも、その一つだ。子供はきっと、同じ土地の者を求めているのだろう。男は小さく咳払いをした。
「ここには一人でいるのか?」
子供は少し考えてから、首を横に振った。
「これ、拾ってくる人がいる。売るのは自分」
「親?」
「ううん。兵隊さんに行っちゃった。拾ってくるのは、また別の人」
男は開きかけた口を閉じた。従軍したきり帰ってこない、そんな話はあちこちで聞いてきた。けれども、目の前にいる子供から出た言葉は、どこかあっけなくて、その意味を理解しているのか一瞬戸惑う。
だが、子供たちは、大人以上に理解している。「兵隊に行っちゃった」という親が、どうして今自分と共にいないのか、それが何を意味しているのかも。わざわざ思考して、理解するまでもないといった具合に。
旅人は足元にある煙草の吸殻に視線を落とした。酒場でしっしっ、と羽虫でも払うようなあの仕草を思い出して、うんざりした気分にもなった。あいつらもいわば被害者だ。戦禍の爪痕はこんな田舎町にだってくっきりと残っている。家や畑を燃やされたやつだっている。仕事や家族を失ったやつだっている。流れ着いたやつに分け与える余裕だってろくにはない。自分が口を出したところで、所詮自分も流れ者だ。高説垂れたところで、無責任な綺麗事にしかならない。こんな光景、嫌になるほど見て来ただろう。
「マッチ、もう一箱くれ」
旅人は自分の頭の中で渦巻いている言葉を遮るように言った。子供はポケットに手を突っ込み、角の折れたマッチ箱を掌にいくつか乗せて、箱のラベルの指先で弾いた。せめて一番綺麗なものでも、と思ったのだろうか。
「今手に取った分、全部くれ」
旅人は投げやり気味に言った。子供ははっとしたものの、おずおずと差し出された手の上に、三つのマッチ箱を置いた。どれもパッケージのイラストはまばらだ。泥がこびりついていたり、紙の箱は角がくしゃりと折れ曲がっている。中に入っている本数が、決められた通りとは限らない。マッチ棒は適当に拾い集めて、それを適当な紙箱に入れただけのものもある。旅人はそのうちの一つから、マッチ棒を一つ取り出すと、また何度か湿気に手こずりながら火をつけた。それを、自分と子供の目の高さに持ち上げる。
「占術師って、本当?」
子供は揺らめく小さな火を見つめていたが、旅人をふと見て、尋ねた。
「あぁ、そうだ」
「術師なの?」
子供は確かめるようにゆっくりと尋ねる。そうだ、と旅人はもう一度頷いた。
「お前には良い気があるから、占ってみていいか」
子供はにまーっとした笑みを浮かべ、首をすくめ、「いいよ」と言った。旅人もにやっと口角を上げると、マッチ棒を振って火を消した。子供は彼の腰掛けている階段の、一つ上の段に駆け寄って座った。旅人は体の向きを変え、わざとらしく目を見開いて子供の顔を覗き込んだ。子供はそれを見て、小さく声を上げて笑った。
「こいつはすごい、大成功する気が纏っている。もう少し先に、どでかい山があるな」
「やま?」
「登る山のことじゃないからな。お前はものすごい金持ちになって、周りにはお前を敬う奴らと、お前が心から信頼できる友人に囲まれているのが、俺には見える」
「ものすごいって、どのくらい?」
ぼさぼさの髪をはらい、身を乗り出して子供は目を輝かせた。
「どのくらいだと思う?」
「毎日ご飯を食べてる」
「どんな?」
「コーンフレーク。チョコレート味の」
「他には? どんどん言ってみろ」
旅人は手招きをした。
「髪を切って、リボンをつける」
「ほかには?」
「いいにおいの服を着る。水色のやつ」
「その調子」
「ふかふかのベッドで寝て、毎日本を読んでる。表紙が破れてない、色が綺麗なの。年の小さい子に、たまに読んであげる。年の大きい子には、わり算を教えてもらう。かけ算はもうできるから」
子供は自慢げな表情に笑みを浮かべた。旅人も楽しげにその話に相槌を打つと、話はさらに続いた。とても広い農場に、果物をたくさん植える。それはすぐにいっぱいに咲いて、いつかの友人たちと一緒に食べることや、アヒルや犬を飼うことや、木で出来た大きな家に住むことも語った。ひとしきり語り、子供は小さな笑みをだんだんと消して行った。夢物語を語るのは楽しいが、その後には虚無感が襲う。屋根の崩れかかった空き家で雨風をなんとか凌ぎ、カビの生えかかったパンのかけらを、口に水を含んだまま放り込む。今、一番近い未来に待ち受けているのは、そんなことだ。
旅人は、子供の頭に手を置いた。硬い髪を握るような、荒っぽい手で撫でた。
「今思い浮かべたこと、絶対に忘れるな。お前は、それが実現できる。俺が見たんだ、間違いない」
「占い師だから?」
「それも凄腕だぞ」
「さっきの人たち、イカサマしてた」
子供はぽつりと言った。店の隅から見ていたのだろうか。彼はにやりとした。
「そう、俺には視えているんだ」
旅人はあのテーブルでかき集めたコインをポケットから出すと、子供の前に差し出した。子供はその意味がわからずに、小首を傾げた。
「くれてやるわけじゃないからな」
彼はそう言いながら、小さい両手に金を掴ませた。
「賭けってやつだ。これで大当たりしたら、偉大な人物の可能性を見出した超有能占術師として、俺にも箔が付くってもんだろう?」
「そうなの?」
「そういうもんさ」
旅人は立ち上がり、階段を降りた。店の前には、夕日を浴びて光る黒い二輪車が佇んでいる。大型のそれは、姿勢を低くして構える獣のようでもあった。男は獣にまたがり、エンジンをかける。二輪車は、威嚇する唸り声を上げ、かっと目を見開いた。
「どこにいくの?」
子供は両手に金を抱えたまま、階段を降りて声を張り上げた。
「気分次第さ」
旅人は首に下げていたゴーグルをかけて振り返った。すると、子供は金をポケットにねじ込み、マッチ箱を探り当てた。手からいくつか滑り落ちたが、すぐに取ることもなく、一つのマッチ箱を探し出すと、男に差し出した。
「あげる」
「もう買ったぞ」
「一番好きな柄」
箱は水色に、翼を広げた鳥のシルエットが描かれていた。男はマッチ箱を受け取り、にっと笑った。
「それじゃ、ありがたく」
子供も、片側の口角を上げた。男が乗った二輪車は、轟音を上げて夕陽から逃げるように走り出した。
街を出た大型の二輪車は、広がる荒野で時折不満をこぼすように唸り声を上げた。いいことをしたつもりかもしれないが、結局は独善的じゃないか、と責めているようにも男には聞こえていた。手で追い払うよりはマシだろう。それに、独善的で結構さ。俺はあの見え見えのイカサマで旅人を吊り上げようとした奴らがちょっと気に入らなかったってだけだ。それとも、それも言い訳だってお前は言うか?
二輪車は少し穏やかになって、男は目を細めた。そして、すぐに緊張した面持ちで速度を上げるか、それとも落とすか考え、視線を走らせた。車輪を転がす音がそう遠くないところに聞こえたからだ。男はホルスターにかけた銃がいつでも抜けるように、と警戒したものの、音の正体は、彼の少し後ろを走っているピックアップトラックだった。スモークブルーの車体に乗っているのは、穏やかそうな男だった。運転手は男に気がつくと、ハンドルを左手に握り、空いた右手を軽く掲げた。敵意がないことを察すると、男は安堵して少し速度を落とした。
ピックアップトラックの荷台には、大柄な男が荷物の間に窮屈そうに寝転んでいた。荷物には布で覆いがかけられていたが、隙間から机の脚が見えた。行商の類なのだろう。だとしたら、荷台の男はボディガードといったところか。男は挨拶がわりに二輪車をふかすと、軽快なクラクションが返ってきた。意外と話せるやつじゃないか、と男は表情を和らげる。
友人、か。と男はふと子供との会話を思い出した。一人でどこにも根付くことなく、あちこちを移動する日々は長く続いている。特に目的があるわけでもない旅だ。
訪れる先には時折気の合いそうな奴もいるし、ここに留まっていてくれないかと引き止められることだって少なくはなかった。けれど、その度に自分がその場で生活している姿を思い浮かべることができずにいた。
自分が選んだ孤独じゃないか。車輪は回転しながら、男に静かに言う。あぁ、そうだとも。望んだものだ。
けれど、そうだな。そう言えるやつが多いことに、越したことはないじゃないか。スモークブルーのトラックはほぼ隣に並んだ。距離はまだ遠いが、そのくらいが走っていて心地がいい。だが、道はすぐに分かれた。敢えて別れたといってもいい。そのうち、遠くないころにまた二人には会うような気がしていた。
たたの根無草、直感で生きている彼はそんなことを確信して、今は誰もいない道を走った。