早くももう11月。そして今月は紙本祭。準備はちょっとずつ進めております。
さて、先日映画館で上映されたイギリスの舞台『善き人』を見てきました。
(他にも映画観たりして、いろいろと記事としては書きたいこともあるのですが……。)
あらすじ含め前情報を何も入れずに観にいったのですが、上映前やインターバル後に解説が入っていてよかったです。
語り手であり主人公のジョン・ハルダーは大学教授で、目が悪い認知症の母を看病し、家事をし、医者の友人が一人だけという人間。そう聞けば献身的で善良な一般市民。時折頭の中で音楽が流れる。
舞台の作りはとてもシンプルで、ハルダーの他には二人のキャストがさまざまな役を演じていく。その二人の役の切り替わりにも驚かされます。ジョンの新しい恋人から妻に変わったときの、彼女の憂鬱そうな感じが特に頭に残っています。
ハルダーが独り言のように客席に語りかけてくるのは、自分が彼の頭の中に入り込んで、その中をいろいろと見て聞いているような作りにも感じられるのが興味深かったです。自分たちもたまにやると思うんです、勝手にナレーションをつけてみたくなるような瞬間。
第二次世界大戦の頃のドイツが舞台となっており、ハルダーの唯一の親友モーリスはユダヤ人。情勢を憂いていたものの、ジョンは気にも留めていなかった。あんな主張が通るはずがない、あまりにもおかしいよ。最初は友人の不安を慰める楽観的な言葉だった。けれどもそれが、だんだんと自分の選択の正しさを合理化させる言葉になっていくよう。そして最後には、「どうしてもっと早くに去ってくれなかった?」。
最後の会話で流れたモーリスの涙がとても印象的でした。
私たちはその後の歴史を知っているので、彼の行動が正しくないと判断できる。けれども、実際に自分たちがあの場にいたら、同じような選択を取る。悪事を働こうとしてそう振舞っているのではない、あくまでも『いい人』でありたいと思っている。
先日読んだ書籍に印象的な箇所があったので引用します。
“彼らが私たちに比べて悪い人間だったわけではない。今の私たちから見た悪を善であると誤って定義していた文化の中に生まれる、という道徳的な不運に当たっただけだ。私たちがそのような環境に生まれていたら、私たちもきっと同じ行動を取っていただろう。”
『ストーリーが世界を滅ぼす』ジョナサン・ゴッドシャル著、月谷真紀訳、東洋経済新報社、2022年(P.202)
舞台が展開して、目の前に本物のバンドが音楽を演奏している終わり方。バンドは本物だった。まるで頭の中で語らっていたジョンが、外にある現実に直面していた(そしてもう戻ることはできない)、と勝手に解釈しています。
舞台そのものは素晴らしかったのですが、これを安全なところで鑑賞していられる「ハッピーな人間」であるということを突きつけられ、またそれを思い出して、静かな罪悪感と憂鬱がやって来る、そんな作品でした。