本日の天気は晴れときどき灰となるでしょう。夕方以降お出かけの際には十分にお気を付けください。
朝のニュースがそう告げている間、ハナイは右手に持っている紙をくしゃくしゃに丸めた。
『誠に残念ではございますが、今回の宇宙船のお席はご用意できませんでした』
最初の一行で、もはや読む意味は無い。その後もつらつらと言い訳がましく、応募数が何百倍にもなってあまりにも予想外だった、でも諦めずにまた応募して、といった文面が綴ってあるが、最後まで律儀に読む人間なんていまだにいるのだろうか。ハナイは苛立ちに任せて丸めた紙を、壁に向かって投げつけた。紙は壁に跳ね返ると、ゴミ箱の淵に当たって落ちた。余計にこれが苛立つものだ。どうせ片付けも自分でやらねばならないことも分かっているのに、こうでもしなければ収まりもつかない。むしゃくしゃした感情を誤魔化すためか、ごほ、という咳を何度かした。
宇宙船に乗るためにと、誰もが躍起になっている。とにかくこの星から出るためだ。もうこの星という巨大な船は沈没しかけている。世間はそのことで持ちきりだ。朝のニュースも天気予報の後には宇宙船の当選率や、移行状況の発表やら分析やらを毎日話している。
船を乗り換えてからのことを考えている人間なんて、ハナイの知っている限りではいない。郊外の一般市民にも宇宙船の抽選が開始されると、それまでは一緒に都市部の上流層の陰口を叩き合っていたというのに、彼らとも途端によそよそしくなってしまった。ついにハナイが住んでいるアパートメントがある通りの、慎ましい三人家族が宇宙船の切符を手に入れたと、うっかりものの坊やが幼稚園の友人に口を滑らせたものだから、それ以来通りの雰囲気は陰鬱なものになってしまった。ハナイはその坊やの父親と、時折バス停で並んで立っていたこともあり、そのときにはたわいのない会話もしていたのだが、その話が通り沿いに知られると、彼は滅多に姿を現さなくなった。はじめは、宇宙船搭乗のためにいろいろと忙しいのだろう、くらいに思っていたのだが、日が経つにつれてそれだけが理由ではないことを知らされた。詮索するようなじろじろとした視線に耐える必要だってないのだし、もう近所付き合いだなんて苦行をしなくて良いのだ。とにかくこの沈みかかった船から抜け出さなければならない。そのために今周りからあれこれ言われたところで気にしてはならない。比喩でもなんでもなく、実際に海面が迫って来たら、誰もその後のことなぞ考えずに別なボートに乗り移るだろう。
腹立たしい通知を投げ捨て、しぶしぶと彼は家を出る。駅から程なくの場所にある小さなビルの二階、バネ部品を販売している事務所でハナイは退屈混じりにパソコンの前で仕事をする素振りをしていた。いつものことだ。デスクはたったの五つで、一つは空席だ。
都市郊外の汚染度の上昇率が著しいことを理由に、自分より若い事務員がまだ空気がマシな田舎に引っ越して行った。残ったのは自分のようにくたびれた人間たちばかりだ。いつも何かと言い訳を用意していて、忙しそうに振る舞うのが得意なばかりの連中とも言う。
給湯室から遅れて参上と言いたげな上司が、コーヒーカップを片手にハナイのデスクの前にぶらぶらと歩いて来る。彼はどの社員よりも一番に出社しているのだが、仕事を始めるのはいつも最後だ。いや、仕事をしないで優雅に雑誌を読み、大声で電話をして終わりなんてこともある。ハナイは仕方なく、なんです? と目で問いかけると、上司はゴシップで退屈を紛らわせたいという欲求不満と、どう切り出そうか迷っている視線を返した。
乾いた唇を舐める仕草が、ハナイは苦手だった。
「君の家の通りで、船のチケットが取れた家族がいたんだってな?」
「あぁ、えぇ」
ハナイはあまり関心がない感じで答えた。あの家の父親あるいは夫とは挨拶をする程度だが、それ以外の家族とはまるきり面識がない。宇宙船の券が当たったらしいという噂話を聞いたときには、それなりに羨んだものだが、却って噂の的にされているのだから、まだ自分ではなくてよかったとさえ思った。そうは思っていても、やはり抽選に外れたという報せの手紙は思い出すと腹が立つ。ハナイは咳払いをした。
「私も応募したんだが、今回も駄目でね。どうすれば当たるのか、知りたいところだよ」
上司は冗談っぽく言っていたが、ハナイは笑みの一つも見せずに「そうですね」と頷いた。
「あそこのお宅は、確か旦那さんか奥さんが、宇宙船の管理会社の幹部と懇意だと聞いたことがあるな」
「さぁ……挨拶以外、特に話したこともないので」
ハナイはパソコンでニュースを読みながらそっけなく答えた。人の姿をした機械が、宇宙に飛び立った人間の労働力の代わりに生産されるという。そうなったら俺も本格的にお役御免だろうな、とハナイは上司との会話もすっかり頭になく思った。いや、それともこの上司と機械を交換してもらおうか?
上司はコーヒーカップを持っている手を、円を描くように動かしながらつまらなさそうにデスクについた。バネを売るにしても、決まった顧客はいるから営業も必死にやる必要もなく、取引先との会話も確認事項の羅列で台本はすべて揃えられている。倦怠感と安っぽいコーヒーのにおいが充満した仕事場だ。機械に置き換わるのなら、それこそ本当にこの仕事を辞めてしまってもいいかもしれない。後輩と同じように、田舎でもう少しマシな空気を吸って……いや、それよりも早く宇宙船の席が『ご用意』されるかもしれない。
「おぉ、ロボットの生産が増えるなら、うちも少しは繁盛するかもな」
誰に言うでもなく、上司は大きな声で言った。ハナイは困って向かいに座ってじっと書類と睨み合っている同僚の姿を見やったものの、同僚は何も聞いていないふりを決め込んでいた。仕方なくハナイは「えぇ」と消えそうな声で呟いた。