久しぶりに読んだ本のことでも書こうかなと思いまして。
映画は観たら感想とか比較的書くんですけれど、本の感想は書くのがなんだか難しい。アウトプットが下手なのか……。
さて、題名、正しくは「憎しみに抗って 不純なものへの賛歌」です。
カロリン・エムケ著。ドイツでベストセラーとなった書籍のようです。
本屋でなんとなく本棚見ていたら、目に留まったので買ってみたというものでした。
過去より続き今もなお過熱している、憎悪と差別に対抗するために、いろいろと考えさせられる内容でした。
ドイツのクラウスニッツで起きた、難民が乗ったバスの進行を妨害した事件は生々しく描写されていて、「どうしてそんなことを?」と思わされてしまう。BLM運動が日本でも知られてきた中で取り上げられた、アメリカでのエリック・ガーナー事件についても触れられています。人種、性、宗教、といった、なんらかの「基準」で作られた「我々」と、「そうでない者たち」への「憎しみ」というものは、現代においては、目にすることは少なくはない。
(「そうでない者たち」が何になるかの違いというもので)。
こうした事件や、出来事、発言を目にすると、そこに向けられた感情と、向けられた人々に何もできないことへの無力感に、時折ひどく憂鬱にさせられることがあります。でも、実際に自分がその場所にいたら、自分は一体何ができるのだろうか。
いくつか留めておきたいことがあったのですが、たくさんになってしまいそうでしたので、1つだけ、紹介してみます。(書籍の詳細な情報は、最後に記載しておきます)。
「いまぜひとも必要なのは、この「懸念」に覆い隠された憎しみが、権利を奪われ、社会から取り残され、政治的対応からも置き去りにされる人間の集団が生まれる前触れ(またははけ口)なのではないかと問うことだ。その意味で、現在あまりに多くの場において憎しみと暴力という形で表れるエネルギーの由来はなんなのかと、冷静に原因を探求することもまた必要である。」(39~40頁より引用)
「〜の要求や、権利を認めると〜になってしまう(普段は無視されている人々が、なんらかの権利とかを得ると、突然自分たちの存在が脅かされるような言葉、とか。)こういった言葉は、単純な怒りの言葉よりも人の間に入り込みやすくて、いつの間にか自分も視界を遮られることもあるかもしれない。そういった言葉に直面したとき、理性的に対処できるのか、ということも問われている感じがしています。
それと、ここ数年、こんなことを思うことになる。自分は無意識に誰かを傷つけているかもしれないし、もしかしたら自分自身、誰かに傷つけられたことにも気付かないでいることもあるかもしれないとか。まだまだ知識も、思考も浅い自分だな、と。だからこそ、こうして本を読んだり、ニュースを見たりするわけですが。
こうしたことを言葉にするのはとても難しいですね。また読み返したいと思いました。そのときに、もう少し自分がもっと、自分なりの言葉を探すことができればと思いながら。
書籍情報
「憎しみに抗って 不純なものへの賛歌」
著 カロリン・エムケ 訳 浅井晶子
みすず書房,2018年発行
ホームページに書籍情報ありましたので、リンクも。