存在のない子どもたち

2019/09/03

Movie

とはいえ観たのは2週間くらい前でした。たまたまYouTubeで広告を見て知ったのがきっかけでした。
ドキュメンタリーを見ているかのようなリアリティを感じたのは、パンフレットにもあるように監督が年月を重ねて実際の人々を見て撮影されたからなんだろうなぁと。
ある時から思ったことがあるんだけれども、子どもという存在は、大人が思っているよりも大人をよく見ていると思う。それは自分が子どものときに思った感情ではなくて、ある程度大人になったときに、電車でおしゃべりをしている子どもを見かけたときにふと思ったことだったと思う。
主人公ゼインは自分の周りの大人たちをよく見ていて、子どもとしての無垢さも持っているけれど、大人びた賢い面を持っていた。これを演じているのが俳優ではなくて、それまで似た環境で育ってきた少年が演じているのだから余計にその一面にはっとさせられたんだろうか(作品に登場するほとんどが役者ではなく、演じた役に似た境遇で生きてきた人々だという)。
ゼインの妹もほんの小さな子どもだというのに、ゼインが働く店の男に「結婚」させられてしまう。本当は兄妹二人でどこか遠くに逃げるはずだったのに。ゼインは一人で街中を歩いて、「ゴキブリマン」の老人が働いている遊園地を訪れる。そこで出会ったティゲストは息子と隠れるように暮らしていた。彼女はゼインを家に置いて、息子の面倒を見てもらい、仕事に行くようになる。食べかけのケーキをこっそり持って帰って誕生日を祝う姿や、毎日お香を振り、ずっと息子と笑っている彼女の姿は、ゼインの母親とはどこか対照的だった。
この3人はいつまでも仲良く暮らしていました、という柔らかい話で終わってくれることはなく、ゼインはさらに困難を突きつけられる。一人の小さな彼が、必死で闘う姿は見ているこっちまで苦しくなるくらいで。
一番泣いたのは、ゼインがナイフを持って家を飛び出したシーン。彼が失ったものへの想いとか、どうしようもできないような怒りが、あの場面にはたくさん詰まっていたと思う。両親を裁判にかける理由に「僕を生んだ罪」と、子どもに言われる社会であるのは、あの映画の中の物語ではまったくないんだろう。