ビター&スウィート

2024/02/12

90_Extra

『Beautiful World』の人たちでバレンタイン小ネタ

 その日の15時ごろ、イガラシは軽いノックの後に、平たい箱と書類を手に第二班の執務室に顔を覗かせた。多忙そうな班員たちは互いに話をしていたり、あるいは一人で黙々と席で仕事に取り掛かっていた。とはいえ、全員が部屋に揃っていることもそう多くはないのでよかったと、にこにことしながら部屋に入る。真っ先に訪問者に気付いたのはカヨウで、彼の来訪の理由を察して席を立った。
「なんだか、いつも悪いわね」
「いいんだよ、僕が楽しくてやっているんだから」
 イガラシはにこりとして言う。忘れぬ前にと彼女に書類を渡してから、金色のリボンがかけられた箱を開ける。簡易包装された四角く、色とりどりのタブレットチョコレートが並んでいる。ストロベリーにドライフルーツのトッピング、ホワイトチョコレートにピスタチオ、緑色は抹茶味のものだ。ダークチョコレート、それにキャラメルソースのかかったもの、アーモンドがたくさん乗っているのはミルクチョコレートだろうか。どれにする、と差し出された箱をカヨウが眺めていると、後ろでノーヴェンバが大きな声を上げた。
「あ、バレンタインか!」
「早い者勝ちだよ、ゼロもおいで」
 イガラシは手招きをし、不思議そうな顔をしているゼロと、顔を明るくさせたノーヴェンバにも箱を見せた。カヨウは振り返る。書類に眉を寄せていたユリアンに声をかけると、彼はどっと疲れた表情から笑みを浮かべて重たげに席を立つ。班長のジェスターは机にある電話でしかめ面をしながらずっと話をしており、カヨウをちらと見ると片手を上げてみせた。
「中断させた?」
 イガラシがユリアンに言うと、彼はいや、と首を横に振った。
「少し休憩しようと思っていたから、助かった」
 それならよかった、と彼は頷いた。
「……なんで、バレンタインで、チョコレートなんですか?」
 ゼロがそれぞれを見て尋ねる。
「僕の出身というか、僕の両親の出身の場所がさ、そういう文化だったんだよね。バレンタインには大事な人にチョコレートを渡そうっていうの」
「プレゼントではなく?」
「そういう人もいただろうけれど、主にチョコレートだったよ。この時期になるといろんなところでチョコレートの販売イベントがあったんだよ。ポートレイルでもそういうことをやっている店、少し見かけるようになったけれど」
「はじめに聞いたときは驚いたよね。なんかイベントがあるっていうのはなんか聞いたことあったんだけれどさ、実際チョコって。美味しいからいいけど」
 ノーヴェンバがにやりとする。
「私のいたところでは、花やメッセージカードで日頃の感謝を伝える日としてあったのよ」
 カヨウの言葉に、なるほど、と相槌を打った。そういえば、昔この時期に花柄のメッセージカードを受け取った記憶があったっけ。
「俺このキャラメルのがいい!」
「カヨウが先だろう、ノーヴェンバ」
「私は抹茶がいいから、構わないわ。二人は?」
「……僕は、どれでも」
「なら、こっちをいただこうか。ご馳走様」
 ユリアンがホワイトチョコレートのタブレットを示し、ゼロは班長を振り返ってから再び箱に視線を落とした。イガラシはそれを察し、
「ジェスターは何でも好きだけど、ビター選ぶと思うな」
 と声を潜めた。それならばとゼロはアーモンドのかかったミルクチョコレートを手に取った。じゃあ僕も食べようかなとイガラシはストロベリーチョコレートを取ると白衣のポケットに入れた。
「それじゃ、ゼロ、後でジェスターに渡しておいてくれる? 僕は他の班も回らないといけないから」
「はい。ありがとうございました」
 イガラシは部屋を出る間際に振り返って、片目を瞑る。
「昔、お返しは三倍とも言われていたらしいよ」
 それは彼なりの冗談なのだろうが、ゼロはきょとんとしてカヨウの方を見た。彼女はやれやれと首を横に振った。
「来月、皆で案を出し合いましょう」
「さんせー」
 ノーヴェンバはさっそくチョコレートの包装を取り、一口かじっていた。四人はそれぞれ仕事に戻った。


 夜。他の班員たちが帰った執務室でジェスターは伸びをした。机の隅にはタブレットチョコレートが一つ残った箱がそっと置かれている。ゼロが置いていったのだろう。イガラシが来たのは見えていたが、結局それから仕事が立て込んで、落ち着いて話をする時間が互いになかった。疲れた、と頭の中で呟いた彼は椅子に深くもたれかかった。そろそろ俺も帰ろうかとチョコレートを鞄に入れる。イガラシには明日礼を言おう。
「あ、班長」
 突如、部屋の扉が開いた。
「帰ったんじゃなかったのか?」
 コートを羽織ったゼロの姿に、ジェスターは片眉を上げる。
「下でティモと少し話をしていました」
 それで、とゼロは早足で彼の机の前に来ると、広げたままの箱の中に、手に持っていたものを置いた。それは売店でも売っているタブレットチョコレートだった。
「イガラシの影響か?」
 いたずらっぽくジェスターは笑った。
「それに、チョコ好きじゃないですか」
「まぁ、そうだが」
 ゼロは目を細めて微笑んだ。
「それじゃ、お先に失礼します」
「おう、お疲れ」
 再び一人になった部屋で、ジェスターは新たに追加されたタブレットチョコレートを手に取った。途端に糖分が欲しくなって、包装紙を解いた。端を折って、口に入れる。少し苦く、甘いチョコレートを口の中で溶かす。三倍返しだったっけ。いったいいつの話なんだか。ジェスターはふっ、と息を吐いた。


※『Beautiful World』の本編開始が3月なのでいったいどのくらい先なのかという話ですが、ジェスターがチョコレート好きという小ネタから。