なかなか思う通りに外出できない日が続いていたのですが、ようやく映画館に行くことができました。
で、観に行ったのは「ヤクザと家族」。トレーラー観たのですが、「新聞記者」と同じ監督さんなのですね。静かに泣けてくる映画でした。
以下思い切りネタバレしています。印象に残ったシーンとか。
1999年、2005年、2019年の20年を舞台にした映画。
主人公の山本は両親を亡くし、仲間と一緒にバイクを走らせていた。
そんなとき、自分の父が破滅するきっかけとなったクスリの売人をぼこぼこに殴り、その上クスリを奪って逃げ、海に投げ捨てる。
父に対しての想いはほとんど語られていないのだけれど、当たりどころがない怒りと、せまい家に物がたくさんあるのに一人ぼっちの部屋。冒頭はそんな空気がひしひしと伝わってきました。
その後、売人と通じていた組織から追われるようになってしまい、山本は柴咲組からもらった名刺から命を救われる。追いかけられているシーンは結構怖かったですね。柴咲組の組長(舘ひろしさん)は、昔ながらの義理人情を重じていて、「行くとこあんのか?」という優しい言葉に、子供のように泣きじゃくる山本のシーンは、山本がそれまで受けてきた暴力とか恐怖を露わにし、それをさらけ出せる相手が出来たという印象的な場面でした。
山本と組長が杯を交わすところでオープニングとなるのですが、渋くて、めちゃくちゃかっこいい。あのシーンまた見たい。
そして時は流れて2005年。すっかり組員として様になった様子の山本とその仲間(舎弟になっていた)。きらびやかな夜の街を仕切り、一目置かれる存在に。ゲーム「龍が如く」で見たことあるー……ながらと思いつつ。クラブで出会ったホステスの由香とのやりとりは、少しコミカルで、山本が背伸びをしていないというか、不器用に接している感じ。でも、そんな日も長くは続くこともなく、別の組織とのトラブルで、自分の仲間を失うことになってしまう。一緒にバイクを走らせていたときからの仲間で、「家族」(弟)を失ったことを目の当たりにしたときの山本の悲痛な表情。敵討ちを計画していたけれど、罪をかぶることで山本は逮捕されてしまい、連行されていく道の先に光が差し込んでいるのですが、それが「ばたん」という音とともに消えてしまう。
それから再び時は流れて14年。2019年。自分自身を振り返っても、たしかにこの十数年のときの流れって凄かったんだろうな、としみじみ思ったり。山本が収監されていた14年の月日は一瞬で経ってしまっているのですが、これが山本とその「家族」の物語というのであれば、「家族」との繋がりを閉ざされた14年は、「何もなかった」のかも。
出所し、30代後半になった彼の表情はいつも哀愁を漂わせていて、それでいて彼が知っている全てが時代の波に押されて廃れている。事務所の名前はぼやけて、組員はほとんど残っていない。組長は優しく彼の帰りを喜んでくれるけれども、その声は弱々しいのが余計に悲しい。山本の出所祝いの集まりにいたのは、ほんの数人。引きの絵では、他の部屋は真っ暗で、静か。かつての仲間は組を去り、なんとか新しい生活を見つけて、「家族」を作っていた。
危篤となった組長は、山本に組を抜けるように告げ、山本は由香と娘のアヤと生活を始める。この病室での組長との語りは、本当に切ない。台詞にもあったのですが、ここまで廃れてしまう前に組を解散すればよかったと言っていて、確かに会社とかだったらそうするべきというところかもしれないですが、柴咲組というものは彼らにとっては帰る家であって、山本が戻ってくるまではどうしても残しておくしかなかったんだろう、とも思ったし、組長にとってもそこが彼にとっての家であり家族でもある。「行くとこあんのか?」と声をかけた自分が、その「行くとこ」を畳むわけにはいかなかったんだろうなぁ、と。
山本と由香、アヤの三人の生活はとても穏やかで、中でも印象的なのは「おいしい」と山本が呟くところ。なんてことない言葉なのかもしれない、けれど、それがいわゆる「ごく普通の生活」のワンシーンだったんですね。アヤの父親が自分であることは告げていられなくて、それでも昔のママはきれいだったんだよ、と話すシーンは、25歳のときにはそんなふうに言ってなかったじゃない、とこちらもにやっとしてしまう。
でも、そんな生活も続くこともなく。山本が元やくざであることが周囲に知られてしまい、なんとか就いた仕事で働くこともできなくなるばかりか、由香も職場には居られなくなり、アヤも学校で白い目を向けられるようになる。由香は泣きながら、山本が帰ってくるまでは順調だったのに、去ってくれということを言うのですが、これがただの怒りではなくて、山本を愛してしまったこと、今も愛しているけれども、それでも一緒にいることはできないという切羽詰まった感じがひしひしと伝わってくる。気のせいなのかもしれないのですが、由香が座り込み、土下座をするような形で出ていくように頼むとき、数歩下がるのですが、そのときに山本との間には敷居があって、それがまさに境界線になっているようでした。
それぞれの居場所が崩壊していく中で、山本たちがかわいがっていた翼も自分の父親のことを知ってしまうシーンがあり、最後に山本は母親を大事にするようにと翼を抱擁するシーンは、組長から山本へ、そして山本から翼へ、といった(擬似的ではあるけれど)父と子を彷彿とさせます。
全部失い、手に入れることもできない山本が最後に取った行動は、自分たちから全部を奪った、かつて敵対していた組織の組長と、それと裏でつながっていた警察官への復讐。山本たち柴咲組が義理人情を重じた組織で、敵対している組織は金と勢いを重じているんですね。
お前たちに居場所はないと嗤う警察官。たしかに、犯した罪は罰せられるべきではあるし、社会をよりクリーンにと謳うのだって悪いことじゃないけれども、そうしようとしている側の人間だって腐っていることは大いにあるわけで。それが余計にやるせない。
最後に、遠くでバイクの音が走っている音がしていて、遠い過去のように20年前を振り返っている山本の姿。その幕引きをしたのは、あのとき一緒にバイクを走らせていた弟分。山本よりも早くに組を抜けて、家族も持っていたけれど、山本と再会して家族も職場も失ってしまった彼が泣きながら恨み言を溢す。でも、それに対して山本はそっと抱きしめて「ごめんな」と呟く。自分と一緒にいたことで何もかも失うことになってしまったことへの謝罪でもあるんだろうけれども、この物語の最後の幕引きを彼に背負わせることへの謝罪でもある気がしました。
これで彼自身の物語は終わるけれども、その後翼とアヤがその場を訪れる。思えば二人は初対面だったわけですが、「お父さんて、どんな人だったの?」という問いかけを受けた翼の表情に、思わずこちらもつられてしまいました。自分も顔を知らない父がいて、自分もそう尋ねたことがあったのかもしれない。兄のように尊敬して慕って来た人が遺した人が、当時の自分と重なるところもあったのかもしれない。
「家族の話」、というのは「語り」なんですね。中には書物とかそういったなんらかの形で残っている人もいるかもしれないですが、自分の家族のことを振り返ってみても、例えば「この人はこんな人で〜」とか、「若い時には〜で」とか。(それこそ葬儀のときとかに)。そうやって家族の話って、続いていくんですよね。
観終わって呆然としていたのですが、映画館を出て改めてポスターを見てみますと、これは山本にとっての「家族写真」だったんだなぁ、と。
主題歌のMVも登場していた俳優さんたちが出演されていたのですが、映画の後に見てみるとよりいっそう泣けてきました。本編でも登場する、工場から出る煙や海の絵。見送る柴咲組の面々。渡し舟? に乗る翼。映画を鑑賞してからだとあれってこういうことなのかなぁと妄想が広がります。
ゲーム「龍が如く7」とちょっとだけ通ずるものもあったり。この社会から完全に追いやられるようになった人々が、それからどうやって生きていくのか? 自己責任だろう、という声も確かにあるかもしれないけれども、でも実際に追いやったのは社会の方で。このあたりのメッセージというのは、今後も問われていくものだし、考えていかなきゃいけないことなんでしょうね。