2021年2月1日。
2021年8月15日。
そして、2022年2月24日。
今日もショックな出来事がニュースを駆け巡っている。過去に起こったような悲しい出来事が、再び自分が生きている間に起きている。まだコロナという災難の中で、全世界が手を取り合わなければならないときに。
自分のような小さな一般市民が出来ることなんてたかが知れている。
悔しいことに一人では銃を、暴力を手放させるための力もない。
けれども、あらゆる暴力、侵攻、戦争に反対することを表明することは出来る。
これはその備忘録。記録。
情報について。信頼のある組織、機関のものを扱うこと。SNSの情報の拡散される力というものにいっそう注意すること。これは自分自身への戒め。それから、分断を煽ったり、冷笑的な言葉に惑わされないこと。これも自分自身に。
一秒でも早く、無辜の人々に平穏な日々が訪れることを祈ります。
微力ながら、国境なき医師団様、日本ユニセフ協会様に寄付をしました。
国境なき医師団
日本ユニセフ協会様
人道支援、医療を提供する全ての人々に最大の敬意を表します。
勿論、国内においてもこのコロナやあらゆる困難に苦しむ人々、その人々のためにアクションを起こしている人々にも祈り、可能な限り支援を続けていきます。
最後にひとつ引用。
”チェルノブイリでなによりも印象にのこっているのは、「すべてが終わったあと」の現実です。物はあっても持ち主はいない、風景はあってもそこに人はいない。行きつくあてのない道、電線。たまに考えるのです、なんなのこれはーー過去なの? それとも未来なの?”
『完全版 チェルノブイリの祈りーー未来の物語』(P.40)
著 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 訳 松本妙子
2021年2月17日 岩波書店 発行
この本を読んだとき、自分は福島や日本のことと共に考えていた。
けれども、今、祈りの声を聞く者はそこにいないのだろうかと愕然としている。