Beautiful World(2)

2020/10/05

10_Sample

「お前さんは誰を救おうとしているんだ?」
 私は思わず目を細めた。記者が記事を書くのは、そこに社会に対して意義を問いたり、人々に正義を求めるからなのだと教えられた。異分子の軍事利用を問う……それは重要な意味を持ち、社会に問いかける必要があると、当然思っている。けれども、私がこの仕事に取りかかったのは、もっと個人的な理由があった。
「……私の、もっとも大切な人です」
「そいつを自由にするためか?」
「そうです。でも、わからないときもあります。本当に自由というものなど私たちにはなく、ただ監視される場所が、施設という建物なのか、それとも社会という大きな構造になるだけの違いかもしれない」
 こんなことを取材相手に話すべきではないとは思ったものの、つい口にしてしまった。白状させてしまうのは、さすがは元ベテラン刑事といったところなのだろうか。彼がブラッド・フォール事件の後、どういう経緯か首都で刑事を長年勤めていたことは、これまでの調査で明らかになっていた。そう、その経歴があったからこそ、私は彼をずっとA級なのだと勘違いしていたのだ。
「あのまま道具として扱われるのを、見たくなかったんです」
 私は、あの施設に置いてきてしまった「あの子」の、寂しさを押し殺した顔を思い出して、胸が押し潰されそうになった。すると、彼はゆっくりとした口調で言った。
「お前さんは勇敢だ。そいつは、お前さんのその思いを、ちゃんとわかってるだろう」
 私は目元をこっそり拭い、「だといいですね」と呟いた。そして、メモの方に視線を落とした。ここからが重要なのだ。
「もし知っていたら、教えてもらえますか。ブラッド・フォール事件を引き起こした、ダンカン&ブランシェンは解体されました。解体されたその会社の情報はほとんど残っていませんでした。ですが……その中に、ある男の名前があったか、聞いたことがありますか」
 私は彼にその人物の名前を告げると、彼は目を見開いた。
「どうしてそれを?」
「その人物は、後に人材派遣会社を設立し、異分子収容施設に多額の出資をしています。これもよくある話です。施設の異分子はそれぞれの適性に合わせて各地へ派遣されます。ですが、一部の異分子は敢えてC級以上と認められて妥当であるはずなのに、C級として過酷な軍事訓練を受けています。軍需企業に斡旋するためだと、私は推測しています」
 彼は口を少し開けたまま、席を立った私を見上げた。私がブラッド・フォールについて調べたのは、私が直面した現実とあまりにも似た形をしていたからだ。
「悪いことは言わない。それ以上詮索しないほうがいい」
 彼は本気で私を心配してくれていた。だが、私は強がって微笑んだ。
「私は記者ですから」
 彼はくしゃりと白髪の中に手を入れ、ため息をついた。
「その男は、俺たちの派兵を取り決めた奴だ」
「……あなたは会社を訴えない代わりに、A級に?」
 その時彼は、しばらく言い返さなかった。目を細めたその表情は、今も痛みを抱えているようだった。「そうだ」と彼は弱々しく言う。
「仲間のことを世間に訴えず、俺は自分の自由を選んだ」
 彼は実際には語らなかったけれども、彼ははじめからA級相当だったのではないかと私は思う。
 異分子の中でも、突出した能力を持つ者はA級かC級のどちらかに分類される。A級は完璧な能力とそれに伴う反動を制御できる存在。その能力を大いに発揮し、社会に貢献することを求められる。その分、異分子としての制限は少ない。異分子の刑事、というのもその一つだ。そのせいか、本来ならばA級と判定されて警察官になる資格を与えられるはずが、能力もあり、その上警察官としての適性があって漸くA級と診断されることの方が多い。
 翻ってC級は反動を制御できずに危険とみなされる。彼らは施設から出ることを許されない。
 彼の仲間が、彼に生き延びることを望んだのならば、刑事として、A級異分子というステータスを取る選択は、間違っていなかったのだと思う。
「刑事としてのあなたの活躍は、調べている中で何度か拝見しています。あなたは多くの人を救った。異分子だけではなく、島のたくさんの人を」
 私はそれ以上の憶測や意見を言うことはしなかった。彼はゆっくりと息を吐き出した。
「危険を感じたら、警察に言え。特別捜査課には伝手もある。あそこなら、話が通じるはずだ」
「ありがとうございます。貴重な話から、身の上の心配までしていただいて」
 私は鞄を肩にかけ、深々と頭を下げた。顔を上げると、彼は眉を下げていた。
「記事が書けたら、すぐにあなたに届けますね」
 彼は肩を竦めた。
「それまでは長生きしておくさ」
 玄関口で私たちは握手を交わした。彼の目は再び私に警告していた。私は強く頷き返した。外に停めていた車に乗り、穏やかな風の流れる街を後にしながら、私は「あの子」に書く手紙の内容を考えていた。幼い頃に一緒に観た刑事ものの映画の話を懐かしもうか。
 だが、私はまだあまりにも未熟で、能天気だった。私は能力も何も持っていない、ただその判定が下されただけの、いわゆるB級という異分子のカテゴリに分類されている。そのB級が島をある程度自由に歩き回ることができるのは、私たちが能力をほとんど持っていないとみなされたからだ。だが、どう足掻いても、私たちは異分子なのだ。
 その異分子が社会で生きるためには、何も持たないだけではなく、自分たちに向けられている刃にさえも盲目にならなければいけないことを、そのときの私は知らないでいた。
 だから私は、信じていた。刃のない、美しい世界を。